すし舞
9月 2009年
僕は、数年前に住んでいた日本の田舎町で、あることを体験したいと思っていました。そこで、友人に頼み、外国人を数日間働かせてくれる寿司屋を探してもらったのです。友人のエキダさんは、島根県益田市で有名な寿司屋を営んでいる内田さん家族を紹介してくれました。9月上旬、僕は「踊る寿司」という意味の『寿司舞』で働き始めました。
お店を切り盛りしているのは、とてもやさしい恵子おばあちゃんと息子の博光さんと輝光さん、そしてチボおじさん。かわいいウェートレスの遥佳ちゃんと可愛ちゃん、そして親切な幸枝さんもチームに加わっています。僕の雇用期間は1週間、厨房の手伝いでした。まかない付きで日本料理も教えてもらえることになりました。とても伝統的
な寿司屋で、低い和式のテーブルのある個室とカウンター席があり、出前もやっていました。誰も英語やフランス語を話さないため、みんな僕のつたない日本語には限界があると思ったことでしょう。僕は日本語を勉強するだけでなく、日本料理のこつを学びたいと思っていました。ここで、僕は手厚い待遇を受けました。
月曜日の朝8時、輝光さんと僕はお店に向かいました。乗っていた小さいトラックには、僕がまだ寝ているときに魚市場で調達した魚が積まれていました。お店に到着すると、厨房がピカピカになっていて、調理道具がきちんとそろっているのに驚きました。どこのお店もこうならいいのにと思いました。はじめの数日は、一番若い息子の博光さんが、だしやお吸い物、天ぷら、卵焼きなどの作り方を簡単に説明してくれました。僕はつきっきりで教えてくれた彼に申し訳なく思い、かわりにたくさん皿洗いをしました。輝光さんはインフルエンザにかかってしまい、寝ていなければならなくなってしまいました。僕が次に学んだのは、にぎり寿司の作り方です。生魚がご飯の上に乗っ
ているだけで、簡単そうに聞こえるかもしれませんが、1週間で80個作った寿司のうち、僕が正しくできたのが3個以上あったかどうかわかりません。自分でつくったものと、寿司職人チボおじさんの本物の寿司の違いは歴然としていました。鍵はしゃりの握り方であり、魚を切ることはまた別の問題だということがわかりました。
たまにお店に来るお父さんの兼二さんが、ある日の夕方、僕を釣りに誘ってくれました。その日はお店をいつもより早く出て、彼と数人の友人で鮎を釣りに行きました。鮎は小さい魚で、僕はその日の昼に食べていました。お店からさほど遠くない小さな川に行き、夕暮れには長い漁網とライトで100匹もの魚を捕まえました。夜の水揚げを見るのはとても興味深く、自分で作った寿司を食べながらみんなで酒を飲むうちに、僕の日本語はどんどん上達していきました。
木曜日、輝光さんは元気になり、早朝魚の競り市に連れて行ってくれました。赤い帽子をかぶった僕は、特別にこの滅多に見られないショーへの入場を許されました。魚、うに、えび、たこ、シュモクザメなどがぎっしり詰まった箱の間を歩いて行くと、にぎやかな声が聞こえてきました。その日の早朝にとれた新鮮な魚の値段を次々と叫ぶ売り手は、僕には歌を歌っているように聞こえました。買い手はその声に必死に聞き入っていました。輝光さんは、買い物に満足したようでした。約30匹の魚が入った箱の値段を聞いて僕は驚きました。たった200円だったのです。コカコーラボトル2本の値段と同じです。後で、僕はこのかわいそうな魚たちに包丁の入れ方を勉強することになるのでした。魚は小さかったうえ、少し曲がっていたと言い訳をしてもしょうがないのでしょうが、この日は忘れることのできない日となりました。昼にはたこ、いか、うに、魚、大きな貝の刺身、夜には日本では珍味の馬刺を食べました。たいそうなごちそうに大満足でした。こんなに生ものを食べたことは初めてでしたが、とてもおいしくて、僕の胃袋は本物の味をしっかりと覚えました。
同じ日、記者がお店の新人に取材をしに来ました。自分なりに一生懸命がんばって日本語で答えたのですが、新聞のグルメ欄の表紙を飾ることはできませんでした。しかし金曜日、夕食に記事を見た数名のお客さんが、その外人を一目見ようとやってきました。ここでも、日本語で必死にサービスをして質問に答えました。本当にすごい一日でした。
あっという間に1週間がすぎ、来ていた上着を返す時がきました。はじめは、単に日本料理をもう少し良く知りたいという理由で、数時間の皿洗いと交換に始めた仕事でした。しかし、そこには数多くの発見がありました。家族は自分達の仕事に情熱を持っていました。想像さえできなかったやさしい人々、たくさんのすばらしい料理を食べ、多くの人と会話をし、写真をとり、笑い、お客さんとも色々な話をしました。時には、仕事をしているんだということを忘れそうになったこともありました。この経験は僕にとってかけがえのない大切な思い出となりました。皆さんには感謝してもしきれません。僕のために仕事を見つけてくれた友人のエキダさん、そして内田家のみなさんには本当にお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。この記事を読んでいるみなさん、ぜひお店に足を運んでください。恵子おばあちゃんは温かく迎えてくれることでしょう。
著者:オガスティン・デニス
翻訳:西村李歩
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